TiE UP! Vol.4
「理由はあいまいでいい。
直感と覚悟が切り拓く、唯一無二のキャリア。」
映画の街として、多くのミニシアターが存在していた伊勢佐木町周辺。近年では、映画館は大型施設へ移り、ミニシアターと呼ばれる映画館を見る機会も少なくなりました。その中でも、映画館の枠にとらわれず新たなチャレンジを続け、地域のランドマークとして知られるミニシアター「ジャック&ベティ」があります。
TiE UP!Magazine vol.4のハタラキビトは、ジャック&ベティの支配人である梶原俊幸さんにお話を伺いました。
ライブハウスから塾講師などを経て、映画館の支配人になるという異色の経歴を持つ梶原さん。異業界に飛び込む彼の決断の背景にはどんな想いがあったのでしょうか。
今回のインタビュアーはgiraffeの営業部長であり、実は梶原さんのライブハウス勤務時代の同僚だった石井健夫が務めます。自身も生粋の映画好きで、どんなお話が伺えるのか胸を躍らせながら、お客さんのいない早朝の映画館に足を運びました。
人が集まることで新しいムーブメントが生まれる場を作りたい
giraffe石井健夫(以下、石井)
お久しぶりです。本日はどうぞよろしくお願いいたします。もう10年ぶりくらいですかね。僕が初めて梶原さんに会ったのはライブハウスに勤めていたときですね。
梶原支配人(以下、梶原)
お久しぶりです。そうですね、あのころ僕はライブハウスでキャッシャーをやっていました。
石井
また、どうしてライブハウスでキャッシャーをやっていたんですか?
梶原
あるアーティストのライブを見に、吉祥寺のライブハウスにいったんです。その時にライブに感動したのはもちろんなんですが、ライブハウス自体にも強く惹かれるものがあったんですよね。人が集まる場所があって、そこで発信する人がいて、それをみんなで共有しあってカルチャーとかエンターテイメントが生まれていくわけじゃないですか。 この場から面白いものや新しいムーブメントが生まれてきそうだなって感覚があり、すぐここで働きたいと思いました。ライブの帰りには「アルバイト募集していませんか」と聞いて、それからキャッシャーとして働き始めましたね。
石井
すごい行動力ですね。昔から面白いものが生まれる場で働きたいって思いがあったんですか?
梶原
昔から面白いものが生まれる場には興味ありましたね。当時趣味でアマチュアのバンド活動もしていたんですけど、ライブ終わりにお客さんと一緒に飲むことが楽しみの一つだったんです。それも振り返ると、観にくるお客さんやバンドメンバーが集って、何かムーブメントが生まれるような場を作っていたんだなって思います。 (この頃、梶原さんはキャッシャーとしてのキャラクター付けをするためにネクタイを身につけ始めたそうです。当時はフットサルをするときでもユニフォームの下にシャツを着て、ネクタイを締めていたという徹底ぶり。今でも映画館に勤務する日は毎日ネクタイをつけているとのこと。)
街の人の声があったから、映画館を存続させようと思った
梶原
その後転職して、IT系の企業に勤めていたんです。その傍ら、 大学時代の同期に「黄金町っていう面白い街が横浜にあって」と誘われて、よくこの地域に来ていました。
石井
その方が立ち上げメンバーのおひとりですね。実際にはどんなところに興味が惹かれたのでしょうか。
梶原
黄金町は、私が通い始めた当時も、まだ危うい臭いがする場所だったんですよね。一方で、昔は近いエリアに映画館が30館近くもあり、映画の中に出てくるような街並みがそのまま残っているような場所だったんです。そんな街の面白さに私も惹かれて、街づくりの活動を手伝うようになりました。横浜市が中心となり、文化芸術を取り入れた新たな街づくりをしていくという流れの中で、私たちは街づくりの活動の一環として、ジャック&ベティのことや近隣のお店についてなどブログで紹介するという活動を始めました。IT系の企業に勤めていたこともあり、当時はまだ一般的ではなかったブログを使って、そこに書き込んでくれた方とジャック&ベティのロビーを借りてオフ会をしたりしていましたね。
石井
そこでも人を集める場を作っていたわけですね。IT企業に勤めながら、週末はボランティアで街づくりに関わっていたのですか?
梶原
そうですね、どこに行っても人が集う場を作り続けていますね(笑)そうやって勝手に映画館を応援していたら、当時の運営会社さんが、「君たちが映画館を絡めた街づくりの活動を続けるんだったら、いっそのこと映画館ごと引き受けないか」っていうお誘いを受けました。
石井
ほんと突然のお誘いだったんですね。そのまますんなりと映画館の支配人引き受けたんですか?
梶原
突然のことだったので、びっくりしましたけど、一度閉館した後でしたから、我々が引き継がないとまた閉館する可能性があるなと、結果的には引き受けましたね。はじめは、映画業界で働いた経験はないし、映画は好きだったものの仕事にしたいなどとは思っていなかったんですが、ジャック&ベティって当時は比較的新しい映画館だったので、映画館の運営をすぐに継続できる状態にはあったんです。だからできるところまでやってみようと思って、引き受けました。その時は29歳と若かったので、突発的な動きが出来たっていうもありますね。
石井
周りから反対とかはされませんでしたか。
梶原
反対はありましたね。3人で映画館をやると引き受けたんですけど、2人はすぐに会社を辞めて、ジャック&ベティに専念したんです。一方私は、ジャック&ベティを引き継いだ3月に娘が生まれまして、すぐに会社を辞めて完全無収入になるわけにはいかないなと思いまして。
石井
そのタイミングで娘さんも生まれたんですか。てっきり独身で若さもあり挑戦したのかと思っていましたが、かなり大きな決断でしたよね?
梶原
そうですね。なので、半年くらいだけ会社員を続けさせてもらったんです。 IT企業に勤めながら、配給会社に電話する日々でしたが、このままじゃ映画館を成り立たせることは難しいなと思いまして、映画館に専念するために、半年ほど遅れて私も会社を辞めました。
石井
お子さんも生まれたことで、経済的な面を考えたら、IT企業に残る決断もあったかと思いますが、それでも映画館に専念するって決めたのはどうしてでしょうか。
梶原
まずは自分自身がすごくやってみたいという想いがありました。それと「映画館を存続させてほしい」という街の方の声があったというのも大きいですね。黄金町エリアの街づくりの活動の中で、「一度ジャック&ベティが閉まった時に残念な思いをしたけど、再開してすごく嬉しい」というお話や街の中に映画館があることの意義について地域の方から聞いていました。私自身も映画館が身近にある街で育ちまして、当時の映画館はスクリーンが一つか二つの小学生でも気軽に行けるような場所だったんです。私も近くにそういう映画館があることの価値は感じていたので、この街から映画館がなくなってはいけないという使命感みたいなものをもって、活動していましたね。
賑やかな街を取り戻す、映画館の貢献のカタチ。
石井
そんな使命感の中、映画館の支配人になったわけですが、そのなかで印象的だった出来事はありますか。
梶原
一番印象的だったのは2013年に開催した『私立探偵 濱マイク』の大回顧展ですね。『私立探偵 濱マイク』はジャック&ベティができてすぐにこのエリアで撮られ、大ヒットした映画なんです。せっかくなので近隣の映画館にも協力してもらおうと、「横浜シネマリン」さんという映画館と、もう少し関内駅寄りにあって今は閉館してしまった「ニューテアトル」さんと3館合同で開催しました。
石井
映画館が多い地域ならではの回顧展ですね。
梶原
ちょうど映画シリーズは三部作だったので、1つ目をジャック&ベティ、2つ目を横浜シネマリン、3つ目をニューテアトルでと、会場を分けて上映しました。さらに、1つ目を観た人が次の映画館で2つ目を観れるように時間差で上映しまして。すると続けて観たいお客さんがパンフレットをもって、街中を行ったり来たりするんですよ。また、その途中のお店でご飯を食べたり、少し買い物をしたり、結果的に普段とは違う街のにぎわいがあったんですよね。その光景を目の当たりにしたときに、これが映画で街に人を呼ぶってことだなって思いましたね。もともと、街づくりをきっかけに映画館の支配人になったので、映画を通じてこの街へ貢献する方法を見つけた感覚がありました。
石井
なるほど、街全体を盛り上げる映画館はとても面白いです。街を盛り上げる中で、地域や商店とのつながりもあるんですか?
梶原
そうですね。これは私たちの映画館だけでやっていてもできないことで、映画館には近くの商店のチラシを置かせてもらって、逆に映画館のチラシをお店に置いてもらったりと、協力をお願いしてます。そんな地道な声かけをしながら、街の方にも映画館に来てもらえるように心がけています。
梶原
また、今はコロナ禍でなかなかできていないですけど、地域に根差した映画祭もやっています。例えば、中華街映画祭では、中華街のレストランの大広間で中国の映画を見て、会場を出ても中華街が広がっているので、映画の世界観がつながっているという、中華街ならではの映画体験をコンセプトに映画祭をやっています。横浜には中華街以外にも、野毛や馬車道、みなとみらいなど、映画のロケ地となるような個性的な街が多くあるので、今後は街の魅力発信と共に、それぞれの街ごとの映画のイベントができればと考えていますね。
その選択が正しいかどうかなんてわからないものもある。あいまいなままでいい。
石井
映画祭を開催するなど、映画館の枠にとらわれずに挑戦を続けている梶原さんですが、これまで新しい挑戦を決断していく中で、不安になったりすることはありましたか?
梶原
昔から物事を順序だてて向かっていくのは得意ではなかったので、チャンスがあるときに直感を大事にやりたいと思うことにチャレンジして、その責任は自分でとる、みたいな感じで決めることが多いですね。映画館の支配人を引き受けたときもそういう感覚でした。その選択が正しいのか間違っているのかなんてわからないものもあるし、あいまいなままでもいいことってあると思うんです。映画も見た人によって解釈が変わる部分があるじゃないですか。いろんな解釈が生まれていいし、観た人の中で完結するものであって、そういうことってすごく大事なんじゃないかなって思います。良くも悪くもないこともある、そう思える要素が映画にはあるのではないかと思うんです。
一つ一つの質問に、誠実に、そして丁寧に答えてくださった梶原さん。物腰が柔らかく穏やかな眼差しの奥には、“直感的な衝動”と表裏一体とも言える“覚悟”のようなものを感じました。そんな梶原さんの「あいまいさへの寛容」の話は、とても心に残りました。ジャック&ベティは2021年12月で30周年。梶原さんたちが引き継いでくださったからこそ迎えられた30年目のジャック&ベティ。黄金町という街の変わらない魅力と、変化を厭わないさまざまなチャレンジの中心には、きっとこれからもジャック&ベティの存在があるのだと思います。
■Profile:梶原 俊幸
1977年神奈川県横浜市生まれ、東京都育ち。シネマ・ジャック&ベティ支配人。慶応義塾大学環境情報学部卒業後、ライブハウスに勤務。その後、学習塾やIT企業勤務を経て、黄金町エリアの町おこし活動に参加したきっかけから、2007年3月からシネマ・ジャック&ベティの運営を引き継ぐこととなり、株式会社エデュイットジャパンを設立。
【お知らせ】ジャック&ベティ30周年特別企画として横浜を舞台にしたカトウシンスケさん主演の「誰かの花」を2021年12月に先行公開予定。また、記念特集上映として、12月11日から24日まで『私立探偵 濱マイク』などの過去作品も上映予定。